サイバー攻撃への対応:能動的防御(Active Defense)や対抗措置の法的・倫理的責任
はじめに:サイバー攻撃と能動的防御の必要性
近年、サイバー攻撃は高度化・巧妙化し、組織にとって看過できないリスクとなっています。従来の防御策だけでは攻撃を完全に防ぐことが困難な場合が増えており、攻撃の兆候を検知した際に、受動的な防御に留まらず、ある種の能動的な対応を行うことの必要性が議論されています。このような対応は、一般的に「能動的防御(Active Defense)」や「対抗措置(Countermeasures)」と呼ばれています。しかし、これらの行為は、自らのネットワークやデータを守るための行為である一方で、攻撃者や場合によっては無関係な第三者のシステムに影響を与える可能性を孕んでおり、法的な適法性や倫理的な正当性が厳しく問われることになります。本稿では、サイバー攻撃に対する能動的防御や対抗措置について、その概念を整理しつつ、関連する法的・倫理的な責任論について多角的に考察します。
能動的防御(Active Defense)および対抗措置の概念
「能動的防御」や「対抗措置」という用語は、文脈によって様々な意味で使用されますが、ここでは広く、サイバー攻撃を受けている、あるいはその脅威に直面している主体が、単に攻撃から身を守る受動的な手段(ファイアウォール、IPS/IDS等)だけでなく、攻撃者や攻撃元に対して、ある種の行動を伴う対応を行うことを指します。これには、以下のような様々なレベルの行為が含まれ得ます。
- インシデントレスポンス内での能動的な措置: 侵害を受けたシステム内部での攻撃者の活動の追跡、隔離、封じ込め、痕跡の消去など。これは比較的狭義の能動的防御と捉えられます。
- 攻撃元の特定と追跡(Traceback): 攻撃パケットの発信元や攻撃経路を特定しようとする試み。
- ハニーポットやハニーネットの設置: 攻撃者を誘い込み、その手口や目的を把握するための罠を仕掛けること。
- 情報収集と共有: 攻撃に関する情報を収集し、関係機関や他の組織と共有すること(ただし、情報の性質や共有範囲によっては問題が生じ得る)。
- 攻撃インフラへの無力化(Counter-Hack/Hack-Back): 攻撃者の使用するサーバーやボットネットに対して、何らかの形でアクセスを試みたり、機能を停止させたりする行為。これは一般的に「Hack Back」とも呼ばれ、最も法的なリスクが高いとされる行為です。
これらの行為のうち、どこまでが許容され、どこからが違法または非倫理的となるのかが主要な論点となります。
法的責任論:既存法規の適用と限界
サイバー攻撃に対する能動的防御や対抗措置は、既存の様々な法規制に抵触する可能性があります。
1. 日本国内法における適用可能性と限界
- 不正アクセス禁止法: 最も直接的に関連する可能性があるのは、不正アクセス禁止法です。攻撃者のシステムに対して、正当な理由なく識別符号を入力したり、セキュリティの隙を突いて侵入したりする行為は、本法に規定される「不正アクセス行為」に該当する可能性があります。攻撃を受けている状況であっても、相手方のシステムへの権限のないアクセスは原則として違法となります。
- 刑法: 攻撃者のシステムやデータに損害を与えたり、機能に障害を生じさせたりする行為は、器物損壊罪や電子計算機損壊等業務妨害罪に該当する可能性があります。また、攻撃者に対する威迫行為や、攻撃者の事業や活動を妨害する行為が威力業務妨害罪等に問われる可能性も否定できません。
- 電波法・電気通信事業法: 通信内容の傍受や、通信設備に影響を与える行為は、これらの法律に抵触する可能性があります。特に、攻撃経路を追跡する過程で他者の通信を傍受したり、通信インフラに負荷をかけたりする行為は問題となり得ます。
- 民法(不法行為): 能動的防御や対抗措置が、攻撃者だけでなく無関係な第三者(例:攻撃者が経由したサーバーの管理者、ボットネットに組み込まれたPCの所有者など)に損害を与えた場合、不法行為に基づく損害賠償責任を問われる可能性があります。
2. 「正当防衛」「緊急避難」のサイバー空間への適用
刑法や民法上の違法性阻却事由として「正当防衛」(刑法36条1項、民法720条1項)や「緊急避難」(刑法37条1項、民法720条2項)がありますが、これらをサイバー空間における能動的防御に適用することには、多くの議論と困難が伴います。
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正当防衛: 急迫不正の侵害に対して、自己または他人の権利を防衛するため、やむを得ずした行為は罰しない、とするものです。サイバー攻撃は「急迫不正の侵害」と評価できる場合が多いでしょう。しかし、「防衛するため」「やむを得ず」という要件を満たすのが困難です。
- 相手方の特定困難性: サイバー攻撃においては、真の攻撃者を正確かつ迅速に特定することが極めて難しい場合が多いです。攻撃元とされるIPアドレスが、踏み台にされた無関係な第三者のシステムである可能性が高いからです。攻撃者ではない第三者のシステムに対して反撃行為を行ってしまうと、正当防衛の要件を満たせなくなります。
- 比例原則: 防衛行為は侵害に対する均衡を保つ必要があります。サイバー空間における攻撃とそれに対する防御の「力」の均衡を測ることは技術的に難しく、意図せず過剰な反撃となり、比例原則を逸脱するリスクが高いです。
- 防衛の意思: 純粋な防衛の意思を超え、報復や攻撃者の特定・逮捕といった目的が主となると、正当防衛とは認められにくくなります。
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緊急避難: 自己または他人の法益に対する現在の危難を避けるため、やむを得ずした行為で、生じた害が避けようとした害の程度を超えなかった場合に、その行為は処罰されないか、減軽される可能性があるとするものです。サイバー攻撃による損害は「現在の危難」と評価できるでしょう。しかし、正当防衛と同様に「やむを得ず」という要件や、避けようとした害と生じた害の比較考量(法益権衡)が問題となります。
- 特に、能動的防御行為によって無関係な第三者のシステムに損害を与えたり、その機能に影響を与えたりした場合、「避けようとした害(自組織の被害)」よりも「生じた害(第三者の被害)」の方が大きくなってしまう「過剰避難」と評価されるリスクが高いです。
3. 自力救済禁止の原則との関係
法治国家においては、権利侵害に対して自力で実力を行使して回復を図る「自力救済」は原則として禁止されており、司法や警察等の国家機関を通じて権利回復を図るべきとされています。サイバー攻撃に対する能動的防御は、攻撃者が誰か不明確なまま、あるいは特定できたとしても国家機関に頼らず自らの手で攻撃に対抗しようとする行為であり、この自力救済禁止の原則に抵触する可能性が強く指摘されます。
4. 国際的な議論と法整備の動向
サイバー空間は国境を越えるため、能動的防御行為は他国の法に抵触する可能性も生じます。特に「Hack Back」については、多くの国で違法と見なされていますが、その必要性を認めるべきだという議論も一部には存在します。例えば、米国では、限定的な条件下での「防衛的措置」を認める法案が過去に提案されたことがありますが、広範な権限付与には至っていません。国際的な協調や法整備の遅れが、この問題の解決をさらに困難にしています。
倫理的責任論:専門家としての考慮事項
法的責任とは別に、サイバーセキュリティ専門家や組織が能動的防御・対抗措置を検討する際には、高度な倫理的判断が求められます。
1. 比例原則と予見可能性
防御措置がもたらす結果が、避けようとしている攻撃の被害に対して比例しているか、また、その措置が意図しない副次的被害(無関係な第三者への影響など)を生じさせる可能性を十分に予見し、回避策を講じているかが重要な倫理的考慮事項です。攻撃者への対抗措置が、踏み台となった一般ユーザーのPCに損害を与えたり、インターネット全体の安定性に影響を与えたりすることは、倫理的に許容されません。
2. 透明性と説明責任
能動的防御の範囲や手法が不明確であることは、攻撃者だけでなく、法執行機関や一般社会からの信頼を損なう可能性があります。どのような状況で、どのような措置を取り得るのかについて、一定の透明性を確保し、その行為の正当性について説明責任を果たすことが求められます。
3. 専門家倫理
セキュリティ専門家には、自身の技術が社会に与える影響を深く理解し、責任ある行動をとる義務があります。ISC²のCISSP倫理規程のように、公共の安全、福祉、秩序を最優先すること、正直かつ誠実に振る舞うことなどが規定されています。能動的防御は、これらの倫理規定と衝突する可能性を常に孕んでいます。
具体的な事例と課題分析
過去には、自身へのDDoS攻撃に対して、攻撃元とされるボットネットのコマンド&コントロールサーバーにアクセスしてボットを無力化しようとした事例や、自組織のシステムから漏洩したデータを、外部のサイトから削除しようとした事例などが報じられたことがあります。これらの行為は、個別の状況によって評価は異なりますが、一般的には「Hack Back」と見なされ、不正アクセス行為や電子計算機損壊等業務妨害罪、あるいは他国での法規制に抵触する高いリスクを伴います。
例えば、ハニーポットの設置自体は合法的な情報収集手段と見なされることが多いですが、ハニーポットへのアクセス者を追跡し、そのシステムに何らかの影響を与える行為は、追跡対象が攻撃者であるという確証が得られない限り、法的な問題を生じさせます。
また、攻撃者に関する情報を収集し、他の組織と共有する行為も、プライバシー侵害や名誉毀損といった法的リスクを伴う可能性があります。共有する情報の性質(個人情報を含むか)、共有範囲、共有方法について、厳格な検討が必要です。
まとめと今後の展望
サイバー攻撃に対する能動的防御や対抗措置は、その必要性が一部で叫ばれる一方で、既存の法概念、特に自力救済禁止の原則や刑法上の違法性阻却事由の限定的な適用、そして無関係な第三者への影響可能性といった点から、法的なハードルが極めて高い行為です。現状の法解釈では、「Hack Back」のような行為はほとんどの場合に違法と判断される可能性が高いと言えます。
また、法的な問題に加えて、倫理的な観点からも、比例原則、予見可能性、透明性、そして専門家としての責任といった多岐にわたる考慮が不可欠です。不適切な能動的防御は、かえって事態を悪化させ、自組織だけでなく社会全体に混乱をもたらすリスクを孕んでいます。
今後、サイバー攻撃への効果的な対処と、法秩序および社会の安全とのバランスをどのように取るべきかについて、技術的な進展を踏まえた上で、より詳細な法解釈の提示、必要に応じた法整備、そして国内外での議論とガイドライン策定が求められます。組織や専門家は、安易な能動的防御に走るのではなく、現在の法規制の範囲内で最大限の防御策を講じるとともに、法執行機関や関係機関との連携を強化することが、責任ある対応として重要であると考えられます。